イチゴにミルクと砂糖をかけてスプーンでつぶして食べる、という子どもっぽい食べ方が好きな同志には解っていただけると思うが、これを普通のスプーンでつぶそうとするとツルッと滑ってミルクがピチャッと撥ね、まことに具合の悪いものである。あの底の平らなスプーンを発明した人は実に偉いと思う。それにまた、イチゴを食べるスプーンがイチゴの形という発想が実に楽しい。つぶして食べない人でも、やっぱりあの見馴れたスプーンがないと物足りないのではないか。
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そういう組み合わせにこだわるのが、良くも悪くも、ぼくたちが信じている生活というものなのだ、とぼくは思う。これと逆に、イチゴを食べるのに、なにもあのスプーンがなくてもよいという考え方もあろう。しかし、そういう考え方をさらに延長していくとどうなるか?湯呑茶碗でコーヒーを飲んだり、和風の丼でラーメンを食べたりしてもよいと言うことになりはしないか?そういう考え方をすれば、液体を入れるコップ状の容器と、固形物を盛りつける皿とが、大、中、小あればたいていの用は足りてしまうので、食器の種類は激減するだろう。けれど、それはぼくたちが信じている生活を否定することではないだろうか。